自宅自力出産 now


 

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2015年3月2日午前5時30分ごろ 長女がビデオカメラ片手に産まれた。と叫んだ。静かな出生だった、その次の瞬間大きな産声をあげた。元気な男の子だった。4人目にして初めて自宅で妻と私子供たちだけでこの子を迎えることができた。
出産予定日を丸2週間過ぎた朝であった。

【妊娠初期】
2014年6月いつも元気な妻が気持ち悪くて吐くつまり悪阻の症状が始まった。妊娠検査で陽性が分かり近くの病院に行った。そして間違いなく妊娠であることを確認した。その時出産予定日が決まった。2月15日が出産予定日と決まった。その後は妊婦検診に定期的に通い特に問題はなかった。上の2人は吉村医院で出産し、3人目は里帰りで出産し産後2ヶ月して戻ってきた。今回は上の子供も小学校に入っており里帰り出産はせずこちらでの助産院で産む予定を計画した。その後病院と助産院を交互に通院し順調な経過で過ごしていた。

【臨月】
臨月の2月になり私も職場で前例のない育休を取得し当直もなくし準備万端でいた。2月第一週特に何も起こらなかった。2月第二週39週目特に何も起こらなかった。家族全員、誕生を待ち望んでいたので特に予定も入れることなくただ淡々と日が過ぎていった。それが妻にはだんだんプレッシャーとして重くのしかかっていった。周囲の目も徐々に気になりだした。まだ生まれないのと言う雰囲気出てそれもだんだんプレッシャーになっていった。助産師さんからもまだかなーと言う言葉が出てきたり、すでに予定日を過ぎているので別の予定を入れてしまってあるから…などという発言も妻にはどうしようもないプレッシャーになった。最後には2週間以上経っても陣痛が来なければ助産院では産めないから病院に行ってね。と言われてしまった。妊娠自体に問題があればそれはわかるが、順調な妊娠にも関わらずただ予定日より2週間遅れたと言うだけで自然分娩をあきらめるなければならないという判断が受け入れられなかった。夫婦2人で何とか陣痛が来るように、あらゆることを試した。とにかく歩いた、スクワットもした、ヨガもした、オイルマッサージをした、お灸もおこなった。それでも弱い陣痛が来るがすぐおさまってしまうということが続いた。吉村医院でお世話になった沖野さんにもたまらず電話で相談した、とても親切に話を聞いてくれて心強かった。隣人も最後に夫婦2人での時間を作るために上の子供たちを預かってくれた。その行為にものすごく胸が打たれ感謝した。夫婦2人で明日までに生まれなければ病院に行き入院し、おそらく陣痛促進剤による出産を行うことになることを受け入れようとここまでしたから仕方がないと泣きながら思い覚悟も決めた。

【陣痛発作】
3月1日の夕方のことだった。子供たちにも明日までに生まれなければ病院で入院して産むことを話した。妻はいつまでも待ってくれた吉村医院を思い出し今の現実に辛そうだった。私も妻と同様であった。6月に最初に行った妊婦検診で決まってしまった予定日によって線引きがされ出産方法が変わると言う現実は厳しかった。母子の状態が変化し、医学的介入が必要であれば話は別なのだが…。3月1日夜何とか今夜陣痛が起きるようにと、私と妻と子供みんなで祈り、陣痛促進のマッサージをしながら寝てしまった。深夜1時ごろ私は突然目が覚めてしまった。それは今思えば神様からまだやることがある、と言う衝動というか、メッセージを受け取ったような感じだった。半分眠ったような状態で陣痛誘発になるようなことを考えた。本能的に人間の体には陣痛誘発を起こすようなスイッチがあると思った。そしてそのスイッチを探そうと言う発想を持った。これまでに散々マッサージや刺激はしてきたわけだが、妻はなぜかおっぱいマッサージはそれまで嫌がっていた、おそらく生まれてくる赤ちゃんのためにきれいに整えておきたかったのだろう。医学的にも乳首の刺激は子宮収縮作用がある事はうる覚えながら覚えていた。そして寝ていたる妻に無理やり乳首マッサージをした。何とかして陣痛よ来いと言う思いであった。少し強い刺激を5分から10分ぐらいだったと思うが妻が顔をしかめ痛いと言いながらうれしそうに今までにない陣痛の強さを感じ、徐々に出産モードになっていった。

【自宅出産】
強い陣痛を意識できたのは午前1時30分ごろのことだった。選択肢としては助産院に電話をし寝ている子供たちを起こし予定通り助産院に向かうと言う予定であったが、助産師さんへの信頼がその時点では失われておりまた寝ている子供3人を起こし連れて行くと言う手間を考えたら、「妻がここで産んじゃおか」と言った。何も不安のない態度であった。私も不安はなかった。この奇跡のようなタイミングでの陣痛発作に、きっとうまくいくと思いこんだ。妻にこのままここで産もう言った。一瞬不安もよぎったが、妻と子供の命を受け止めようと覚悟を決めた。陣痛発作が確実となり、陣痛発作の合間の休みの時に妻が風呂に入りたいと言った。妻の中では水中出産と言うことが思い浮かんだようだ。急いで風呂の準備をした、我が家はそれまでなんと五右衛門風呂しかなかったが、出産の為この1月に灯油給湯器付きの檜風呂小屋を設けていた。半身浴程度で温まりながら陣痛の痛みを和らげた、そのまま水中出産をする予定であったが、なんと予想外なことが起き肝心の灯油が切れ、水しか出なくなってしまった。ガスコンロで急遽お湯を沸かし風呂のお湯を足すということを行ったが今度は逆に沸かしたお湯が熱くてのぼせてしまった。深夜4時ごろ水中出産は中止となった。寝室の小屋に戻り寝室で産むことにした。そこではまだ3人の子が寝ていた。出産の準備用のものは全て助産院に預けていたため、自宅にはほとんど何もなかった。普通なら破水や出血に備え防水シーツをひくのだが今回は諦めた。布団を1つ汚しても良いと決めた。妻を寝室に置き、私は台所に戻った、出産はもう少し続きおそらく午前中か昼ごろと思った。子供たちの朝食と保育園に預けるための弁当が必要と思い、いつも通りまずはご飯を炊いた。食事に関しては産後のことも考えほとんどできるようになっていた。そしてひたすらおにぎりを作っていた。そこへ長女が起きてきてパパ!ママが読んでるからすぐ来てと言った。おにぎりが一段落して寝室に向かうと、妻がもう生まれると言った。長女は今まで2人の出産に立ちあっており冷静であったが、次女と長男は妻の人物によるうめき声で目を覚まし、ただごとではない雰囲気を感じ何故か2人寄り添って部屋の片隅から様子を見ていた。泣いてもいなかった。私は大丈夫だと思いその2人に大丈夫心配ないよと声をかけそのままにした。妻のもとに寄り添い様子を伺った。余裕はなさそうだった。出産の進行状況が知りたくなり内診してみると、赤ちゃんの頭頂部を触れた。おそらく子宮口全開だった。確かにもう生まれそうと感じた。赤ちゃんの心拍が知りたくなった。まさか自宅出産なるとは予想していなかったので自宅に聴診器すら置いてなかったが妻の下腹部に直接耳をあてた。早いが確かな心音を聴けた。赤ちゃんも頑張ってるなと感じた。何回かの陣痛で胎児が降りてきた。隣で長女は冷静に見ていた、私よりも肝が座っていると感じた。次の陣痛発作で一気に首まで出てきたと同時にへその緒も出てきた。その瞬間一瞬へその緒が首に巻きついているのかと不安がよぎり胎児の首周りに指を当て窒息していないかを確認した。へその緒が首には巻きついていなかった。妻にもその動揺が伝わり焦らせてしまったがすぐに大丈夫巻きついていないと伝えた。しかし妻は心配になり早く産もうと力んだ。次の陣痛で少し肩が引っかかったがうまく体を捻らせて出産に至った。長女は嬉しそうな声色で生まれたと叫んだ。その泣かないなと思った次の瞬間大きな産声を見事にあげた。そのまま妻の胸の中に抱かれた。2015年3月2日午前5時30分ごろの出来事だった。無事生まれたと言う安心感と母子ともに問題がなかったと言うこれも安心感、そして行きがかり上夫婦2人で産めたことの達成感、妻の強さ、父としての役目を果した達成感がわきあがってた。感動で全身が震え涙が自然に溢れ出てきた。妻からもありがとうと言われた。限界の壁が破れたような感覚を感じた。
その後しばらくして胎盤も無事出て出血も少量で済んだ。へその緒の拍動も止まった。妻と赤ちゃんの様子が安定したので子供たちも近くに寄って来た。私は助産院に電話で出産報告をした。生まれたということを聞いて驚いていたがすぐ来てくれた。赤ちゃんの体重測定や着替えをしてくれた。母子ともに健康な状態なことを確認し安心し帰っていった。
胎盤は夕食にみんなで塩で味付けをして半レアで食べた。子供もおいしいと競って食べた。
3番目の長男は保育園に行ったが10時ごろ保育園から熱があるので迎えに来て欲しいと電話があり迎えに行った。全く元気で出産による子供なりにストレス受けて発熱したと思った。赤ちゃんはすぐにおっぱいを吸い母乳を6-12一すくすく子出した。無事出産と言うイベントが終わり育児と言うイベントが始まった。

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